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私の人生の枠を外した、最初のメンター石黒先生


1つ前のブログ私が自分の好きな色をとても良く理解している理由 で記した通り、私は良い成績を取るために、周りの友人たちをリサーチをしていました。 ある日、友人のお姉ちゃんが都内で一番偏差値の高い高校に入学したと聞き、その友人のお姉ちゃんが通っていたという石黒塾に直ぐに入りました。小学5年生の時です。


石黒先生が1人で運営、1クラス10名規模の小学校年長〜中学校までの小さな個人の塾です。同じ時期に入った友人は泣いて止めてしまった程、とにかく厳しい厳しい塾でした。 祖父母にわがまま放題、母には叱られたことがない私にとって、石黒先生の教育はとても新鮮で、必死でしたが、この厳しさは私にとってとても大切だと感じていました。 まず部屋に入って30秒以内に「こんばんは!」と先生に挨拶をしないと怒られ、お尻を朝顔の支え棒で叩かれます。そして、裏が白紙で使える紙を捨てると、表に書かれている字を見て、先生は誰が捨てたかを見つけて怒るだけではなく、翌日は勉強はなく、「紙を大事に使わないとならない、木と酸素の話」です。 中学校のテスト問題用紙は、かならず石黒先生に持っていくことになっていて、石黒先生は過去10年以上のテスト問題を保管しており、数学は〇〇先生、国語は〇〇先生というのも把握しているので、テスト前は担当の先生の過去のテスト問題を塾でやるのです。

そして、もちろんテスト結果はすべて提出、通信簿も提出し、石黒先生は親以上に生徒全員の成績や学校での姿勢・態度を把握します。


私は石黒先生のおかげで、勉強が大好きになり、中学校の3年間はほぼオール5という成績でした。そして、小学校の時から成績が良い友人を超えたことにより、人は努力すれば必ず結果が着いてくるもの、とにかく自分次第、人生に枠はない、無理なこともないんだと知りました。 中学校の先生達の間で石黒塾は有名で、中学三年生で成績が低く受験が厳しい生徒に対して、先生から石黒塾を進められたと、受験真っ只中に入ってきた同級生もたくさんいました。そういう生徒に対しては、週末も特別にクラスを行ったり、受験直前には、「風邪を引いたらならない。」と、クラス中に石黒先生の奥さんがニンニク漬けを持ってきてくれて、みんなで頬張るのです。 中学校の先生からは教わらない高校受験の面接、石黒先生が手取り足取り教えてくれて何回も面接の練習をしました。 他には女生徒の9時過ぎの帰宅は危ないからと、一番遠い生徒の家まで石黒先生が送っていきます。 全員志望校に受かったあとは、石黒先生とBBQをしたり、みんなで登山をして中学生活を終えました。 石黒先生は、勉強の楽しさだけではなく生き方を教えて下さいました。



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